« 2015年10月 | トップページ

2015年12月

2015年12月13日 (日)

読書と学力  ―桜美通信12月号より―

今月の六日の高知新聞の朝刊に「本を読む人だけが手にするもの」というタイトルの本の紹介記事が載っていました。

次の通りです。〈本書によれば、読書をするだけで「ほぼ『10 人に一人』の人材になることができ、「エキスパートの報酬水準(時給1万円以上)に近づく。

それだけじゃない。「創造する力」、「集中力」、「バランス感覚」、「よのなかを生きる力」が身につき、「人生のステージが上がる」上に脳が拡張し、未来予測もできるようになる。さらに、これから先の日本は「本を読む習慣のある人」と「本を読む習慣のない人」に二分される〝階層社会〟がやってくると予言までしている。〉

 いささかオーバーな気もしますが、私自身読書の効用について日頃思うところがあったので大いに首肯しました。

40年近く塾を経営しいろいろな生徒を見てきました。また一時期は幼児教育もやっていたことがあります。

そうした中で、私が体験的に感じていますのは、読書と学力の関係です。この二つには明らかに有意な関係があると実感しています。

よく本を読む子はどことなく落ち着きがあり、能力に深さを感じます。深い脳を持ち、洞察力に優れているように感じられるのです。

原因はいろいろと考えられますが、やはり読書による擬似体験が、脳の鍛錬に最も有効ということだと思います。現実の世界では、大人も含め私たちは空間的にも時間的にも制約された世界に生きています。

いいかえれば、現実に閉じ込められているともいえるでしょう。この現実の密室に風穴を開け、時空を超えて自分を解放してくれるのが読書です。たとえヴァーチャルとはいえ、頭の中がでんぐり返るような体験をくり返ししている子とそうでない子は長い年月を経ますと自ずと違ってくるのは自然なことだと思います。

人の才能は生まれつきか、それとも生まれた後の環境の結果(氏か育ちか)という話がよくされますが、これははっきり両方だといえると思います。生まれ持った脳の組織、いわばハード面には遺伝の影響は否定できないでしょう。

逆に子供はみんな同じ能力を持って生まれてくると考えることは子供の個性を否定することになり科学的な見方ではありません。足の速い子もいれば遅い子もいるのが自然です。しかし、どんなに優秀なハードを備えて生まれてきても、もし狼に育てられたなら、その子はいつまでたっても四つ足で歩き、狼のように遠吠えするだけでしょう。

人は人に育てられない限りとうとう人たりえないということは、狼に育てられた子供のいくたびかの実例が実証しています。 親から受け継いだ能力を十全に開花させてやること、これこそ教育の使命なのですが、教育といえばすぐ机に向かって漢字の練習をしたり、算数の問題を解いたりすることが頭に浮かびます。

これらのことも、もちろんやらなくてはいけない大切なことですが、それに劣らず、いやそれ以上に大切なのが読書です。

脳を鍛える上で読書ほど有効なソフトはないと私は四十年の経験から確信しています。北欧の国フィンランドでは、コンビニの数くらい街中に図書館があるそうです。

だからでしょうか、子供の学力は先進国の中でいつもトップクラスです。東アジアの国々も高位にいますが、それらの国では競争によって無理やりさせられている感があります。フィンランドでは学校間格差もほとんどなくて、みんな地元の高校へ通っているそうです。

強制的にやらすようなこともほとんどありません。それでいて高い学力を保持しているのはなぜか、ちょっと考えさせられます。

1つの要因として、大人も含め一人当たりの読書量が多いということは十分考えられます。 この頃、ゲームやスマホでのメール(ライン)中毒と学力の関係が危惧されていますが、現場にいますと、確かにその影響は感じます。特にゲームをやりすぎている子は何となく分かります。いかにも落ち着きがなく、じっとしていることがとても苦手です。いつもそわそわして心ここにあらずという感じがします。

こういう子供がもっとも苦手とする科目が国語です。どんな科目もそうですが、特に国語は心を落ち着けて心静かに取り組まないとできません。いつもゲームばかりやっていると、文章を読むこと自体がストレスになってくるように思います。いつも反射的な神経動作ばかりやっていると、自然とそういう脳に変化していくのではと思ったりします。

もちろんこれは私の勝手な推測で科学的な根拠がある話ではありません。ただ、私が心配しているのは、ゲームやメールにはまっている子は、ほとんど読書をしていないだろうということです。

このことによる弊害はそれこそ限りなく大きいといわざるをえません。 小さい時から読書に親しむ環境を整備すること、これに優る賢い子供を育てる方法はないといっても過言ではありません。       

| | トラックバック (0)

« 2015年10月 | トップページ