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2015年6月

2015年6月15日 (月)

生徒のみなさんへ  「わからない」ということ


 一生の間に人はどのくらいのことを知ることができるのでしょう。昔に比べれば、科学は驚異的な発達を遂げました。科学的知識は飛躍的に増大したといえるでしょう。しかし、現在の科学をもってしても、宇宙や生命のほんの一部がわかったに過ぎません。大部分は依然として、深い神秘のベールに包まれたままです。


人間の精神や心の領域となりますと、果たして、進歩しているかどうかも怪しいものです。
我々は果たして、縄文時代の人々の心よりも優れているでしょうか。知識は世代ごとに継承できても、精神や心は一人一人が自分で耕していく他ありません。いつも生存の危機に脅かされていた太古の時代の人々の方が、豊かさの中に生きる私達よりも、助け合いの心や、思いやりの心は発達していた可能性は十分考えられます。物質的豊かさと精神的豊かさはどうも反比例の関係にあるようです。


 私たちはなぜ人として生まれ、今、この世に存在しているのか、なぜミミズやゴキブリでなかったのかとなりますと、いくら考えてもわかりません。また、人間に生まれたとしても、なぜこの時代に、この日本に、この両親の下に生まれたのかとなりますと、これはもう奇跡中の奇跡、確率の範疇を遥かに越えています。神の存在を考えたとしても不思議ではありません。私たちの存在は奇跡なのです。だからこそ、かけがえのない生を大切に生きなくてはいけません。


 このようなことは、忙しく過ごす日々においては、すっかり忘れてしまっています。当然のことです。でも、考えるということは、このように根源的な問を発することから始まります。

いくら考えても答えは出てこないでしょう。しかし、答えが出てこないからといって価値がないかというと、決してそんなことはありません。逆にいうと、すぐ答えが出るものはそれだけの問いなのです。学校や塾で解く問題は初めから唯一の正解があります。ほとんど暗記でできてしまう問題も多いです。このような正解のある問題を解くことからは、本当の意味で考えることには決して到達できないでしょう。ガリ勉の問題はそこにあります。

この世界にはわからないことがたくさんあります。大切なことほどわかっていません。私達はわからないことの山にうずもれているといっても過言ではありません。
しかし、わからない事は果たして悪いことでしょうか。

「無知の知」という有名な言葉があります。古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉です。「自分は大切なことは何もわかっていないということを知っている」という意味です。
 自分がよくわかっていないと自覚しているということです。世の中には何でもよく知っていると、博識をひけらかす人もいますが、そういう人は自分で自分の頭に蓋をしていることになります。そう自覚していることで、進んで学ぼうという姿勢の芽を摘むことに繋がるからです。

人はわからないと自覚することで学ぼうとします。「わからないことは高貴な可能性」なのです。
学校の勉強は、これから将来にわたって生きていくための土台として大切ですが、それだけでは十分ではありません。結婚・就職・転職などにおいて大切なことは、自分で考えて正しく判断できる力です。まさに正解のない問いです。

 皆さんはこの世に奇跡的に生まれ、この世界に投げ出された存在です。絶対的自由の中、自分の力で自分にふさわしい未来を切り拓いていかなければなりません。もはや私たちの世代のような社会の敷設したレール(良い学校、良い大学、良い会社)にのっかればどこまでも安全という時代ではありません。
 そういう時代を生き抜くためにも、自分の頭で深く考える習慣を身につけて下さい。     

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