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2014年4月

2014年4月23日 (水)

「自ら学ぶ意欲の心理学」  櫻井茂男著 その8

 前回は、自ら学ぶ意欲を高める効果的な教育における乳幼児期について櫻井先生の意見を紹介致しました。今回は児童期(小学校時代)の教育について皆様と共に考えていきたいと思います。なお、今回はぼう大な量になりますので、勝手ながら私の方で特に大切だと思われるところを抽出してご紹介させていただきます。
◎児童期の教育
(1)人的環境を整える
 乳幼児期においては、教育の役割は圧倒的に親でしたが、小学校時代に入りますと、徐々に教師の役割が大きくなってきます。
小学校に入学したばかりの子供にとって大切なことは、まず安心して学べる人的環境を整えることです。それには教師が子供の話をよく聞き温かく接することによって、教師自身が子どもに信頼される存在になる必要があります。小学1年生には、ある程度熟達した教師が当たるのは当然といえます。
 さらに、クラスメートとの良好な関係が築ければ、小学校での教育はスムーズに進むであろうと先生は述べられています。
このことは何よりも小学生に限ったことではありません。今まで見てきたように、中学生にとってもベースとなる環境であり、安心して学ぶための必須の条件です。
(2)子供の自律性を支援する。
 子供の自律性を支援することは、知的好奇心、有能さへの欲求、向社会的欲求のすべてを充足させるように作用するとても重要な教育のテーマです。それでは具体的に子供とどのように向きあえばよいのでしょう。先生は次のように述べられています。
「自律性支援の中心的な取り組みとは、子供の自己決定や自己選択を尊重し、決定・選択された課題が成功裏に終わるように(達成できるように)、ある程度のお膳立てをしてあげることである。」
ある研究では、学年の初めに、新しい教師が自律性支援であると、子供の自ら学ぶ意欲は高く、それがほぼ一年間変わらずに続いたことが報告されています。このことは私達塾の現場でもしばしば実感されているところです。強制的に何かをやらせることは、つまり、生徒自身が納得していないことを無理にやらせようとしますと、目に見えて意欲がしぼんでしまいます。そうかといって、何をやるかについて子供の意志に任す訳にもいかず難しいところですが、今やろうとしていることが何のために必要なのか、そこのところを子供が納得できるようによく説明してあげることが肝要かと思います。
また、教師が成績向上などの過重な責任を負わされ管理統制されますと、子供のへ教育も支援的でなく統制的になるという実験結果が報告されています。これは容易に想像できることであり、進学校や塾の現場では頻繁に生じていることだと考えられます。成績向上というプレッシャーをいつも両肩に重く感じながら教壇に立っている状態ですので、つい焦燥感に煽られますと命令や強制的な発語となる訳です。教師も一人の弱い人間なのです。でも、そうなればなる程、子供の学習意欲は減退していきますので悪循環となってしまいます。ここはなかなか難しいところですが、私は成績向上そのものを目標としている限りこの悪循環から容易に脱け出せないように感じています。成績向上よりは、学習意欲を育てること、学ぶ姿勢を育てることを目標にする、成績向上はその結果なのだと今は考えるようになりました。農業でいいますと学習意欲を育てることはいわば「土づくり」です。ほかほかとした、いい土ができますと植物は健康体となり豊かな実りをもたらしてくれます。
(3)教師が子供の手本になる
小学校時代も親が手本になることは大事ですが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に教師が手本となることは大切です。
「教師は子供の手本となるような意欲的な教師でいて欲しいと思う。そんな教師は自然と手本にされ、子供は意欲的に学ぶことをまねるであろう」
どのような点で意欲的なのかということが問題ですが、
〈先生の傍にいると妙にやる気になる〉〈今の自分よりもう一段上の自分に引き上げられる気がする〉
こんなことをいわれたら、どんな教師も、教師をやっていてよかったとしみじみ思うことでしょう。
(4)効果的な授業をする
(a)教師が行う授業の留意点として先生は次のことをあげられています。
 ア、「わかる授業」をする。
 イ、「興味・関心を喚起するような授業」をする。
 ウ、「興味・関心を喚起しやすい教授法」を用いる。
 エ、「実生活に関連するような授業あるいは実生活に役立つような授業」をする。
 オ、「しっかりと考えることができる授業」をする。
 カ、「子供がわからないことを自分で調べられるように、図書館やインターネットを利用するための授業」をする。
いずれも省けない大切な内容ですが、これらすべてを塾で実施することは物理的に不可能といえます。やはりほとんどは学校で行うべき内容でしょう。ただ、私なりに感じていることを述べますと、これらの授業を実行していれば身についている筈の「考える力」、特に「抽象的思考力」が身についていない子が中学生の中にも多く見うけられるということです。「抽象的思考力」とは具体的な例の中から、それに共通する法則、本質を見抜く力のことですが、これが身についていないとまったく応用がきかなくなってしまいます。「論理的な思考力」とは別次元の能力なので、専門的すぎてよくわかりませんが、どうも私の実感としましては、得点するための簡略な勉強法、つまり、暗記中心の勉強法が災いしているように思えてなりません。
暗記とは点で定着させることであり、それらの点を関係づけたり、ましてやそれらの関連を貫く法則を見つけることではないからです。やはり、初めに答えありきの演えき的な教授法でなく、具体例から法則を発見していく帰納法的な授業、気づきの授業の必要性をどうしても考えざるをえません。
数学の導入部などでは、塾でもやってはいますが、これからはもっと意識的に取り組む必要がありそうです。またそういう時代だと思います。私見ばかり述べてきましたが、先生はアの「わかる授業」について次のように述べられています。
「わかる授業とは、教師の話を聞いていれば、特段何もしなくてもその内容がわかるような授業、ということではない。むしろ、話をしっかり聞き、よく考えないとわからないような授業である。努力してわかるような授業の方が魅力的でおもしろい。そうでないと、自分の潜在的な能力を引き出すことができず、より有能にはなれない」
既知のことを勉強するのは確認にすぎません。学ぶことはいつも未知の領域に一歩踏み出すことであり、多少の困難はつきものです。しかし、だからこそおもしろいのであり、有能感を感じられるのです。
(b)子供どうしの「学び合い」による授業について先生は次のように言及されています。
「最近は、教師主導の授業だけでなく、子供どうしによる学び合いの授業が推奨されている。これは、自ら学ぶ意欲のもとになる有能さへの欲求と向社会的欲求を充足させる大変望ましい授業である。
友達におしえるということは、よく頭の中が整理できてないとチャランポランになってしまいできません。したがって友達に教えてあげることは、その日に学んだことの理解をより深めることに繋がるといえます。また教わる方も教師よりは気軽に習えるので、安心感がありわかりやすくもなるでしょう。ただ、一つ問題があります。それはつい教えすぎたり、相手の理解の程度を判断せずに簡便な方法に走ったりすることです。そこは教師が気を配って反応を注意深く見ていないといけません。一番いけないのが、友達の答えだけ写して持ってくる場合ですが、教師も忙しいとつい見過ごしてしまいます。こうなりますと、この子供はいつまでたっても理解できずに学力はそこでストップしてしまいます。人数にもよりますが、やはりチームティーチングが望ましいでしょう。しかし、子供どうしの学び合いは見ていてとてもほほえましいものです。クラスの雰囲気も良くなり、自ら学ぶ意欲も高まることが期待されます。
最後に夢や目標(可能なら将来目標)をもたせることについて考えます。
「昔は『よい大学に入り、よい会社に勤めるため』が子供を学習に動機づける決まり文句であった。しかし、今はこのような文句に効力はない。むしろ、子供にばかにされてしまうのが落ちである。」
先生はこのように述べられています。私達の若い頃、ほとんどの学生はこのような動機で頑張ったものです。私もその一人でした。いわば社会の、時代の敷いたレールの上を無自覚に歩んでいった訳ですが、そのつけはしっかり払わされました。それに代わる現代の言葉として、「夢をかなえるため」、「人生の目標をかなえるため」を先生はあげられています。「夢」や「人生の目標」には、しっかりと「個」が注入されており、たとえかなえられなくとも、その代償は小さいと思われます。私はよく「自分の未来を切り拓くため」という表現を使いますが、未だ自分の夢や目標の定まっていない子供達もいる中で、この言葉の方が適切かなと思うからです。
小学生の夢や目標は、その成長とともに変化していきますが、その時々の夢や目標でいいと思います。高学年になるとともに自分の個性も徐々にわかってきて、その夢や目標も、より正確になってきますが、よしんば、そういうものが見つからなくとも(見つかっていない子供は結構多い)、自分の未来は自分で切り拓いていくんだという気概は持って欲しいものです。
最後に(本当に最後です)、夢でも人生目標でもそうですが、より身近な目標を設定しないと、子供は日々頑張れないというおもしろい実験結果を紹介します。
◎対象となった児童に七日間、一日三十分ずつ自習の形で教材を学習してもらいます。(引き算)
彼らは処遇によって次の四群に分けられます。
・近い目標群  一日六ページの問題を解くことを目標に勉強する群
・遠い目標群  七日間で四二ページ(六ページ×七)の問題を解くことを目標に勉強する群
・目標なし群  いっさい目標を設けずに問題を解く群(目標なしの勉強)
・統制群  何ら処遇を設けない、つまり勉強そのものをいっさいさせない群
 これらの四群は、事前テストとして算数の自己効力感(やろうと思えばできる感じ)と学力、処遇の後に算数の学力(事後テスト)と算数の自己効力感(事後テストの前と後)が測定されました。その結果が次のグラフで示されています。
 

Photo

 このグラフを見れば一目瞭然、近い目標を課した群は自己効力感においても実際の学力においても圧倒的な伸びを示しています。
 また、何もしなかった統制群に比べて他の三群は自己効力感においても実際の学力においても著しい効果を見せています。ただし、遠い目標を持たされた群は事後テスト後は、自己効力感においても学力においても目標なし群より低くなっています。このことは私達は現場で何気なく実感していることですが、こうはっきりと結果が出ますと、やはり意識的に見直す必要がありそうです。あまりにも遠い目標は、目標の価値を下げるどころか、ストレスとなり、意欲をそいでしまうということでしょう。
 「小学生(特に高学年)では、人生目標(あるいは高校生くらいまでの中期的な目標)のようないわゆる遠い目標とともに、それを達成するためのより具体的で身近な目標をもつことが、高い有能感と学力を保障するものと示唆される」
この先生の言葉で締めとさせていただきます。

次回は、青年期における教育の影響について皆様とともに考察していきたいと思います。   

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