H君の教えてくれたこと
中学2年生のH君、この頃、教室での様子が別人のように変わってきました。
以前は得意科目の理科以外は授業が始まるとすぐにうとうとし始め、そのまま
にしておけば、本格的な居眠り状態に入るのが常のことでした。やらなければ
いけないという気持ちはあるようなのですが、授業開始とともに、頭と体に眠
りのスイッチが入ってしまい、いかんともしょうがないという塩梅でした。こ
んな状態では学ぶ以前の問題で、とても学力うんぬんといえる筈もありません。
ところが、こんなH君がこのところ、俄然頑張りだしたのです。背筋をしゃん
と伸ばし、以前のように机にダラリと伏せるようなことは決してありません。
それどころか、学び方も以前とは比べようもないくらい積極的になってきまし
た。きらいな科目でもくいついてきますし、理解しようと努めている様がよく
伝わってきます。何よりも授業に集中している様子がすばらしい。そして理解
できない時は、私のところまで質問にくるまでになったのです。一体、何が彼
をここまで変身させたのでしょう。理由はいろいろ考えられますが、そんなことよりもっとも大切なことは、人間は変わることのできる存在だということを身をもって教えてくれたことです。私達は、ともすれば現在の子どもの状態だけで、その子どもの将来まで推し量るという過ちを犯しがちです。しかし、そんな固定的な見方では子どもはうかばれません。今回のH君のように予想を見事に裏切ってくれるということは、身も心も成長著しい中学生では、当然起こり得ることですし、またこれ程うれしいことはありません。やはり、育てるということは、親も教師も長い目で、その時節が到来するのをじっと辛抱強く待つ、このことが何よりも肝要かと思います。「人間は成長する」、こう思って眼前の嵐に耐えること。これもまた易しいことではありませんが、短期をおこしたり、いたずらに焦ったりしますと、大切な将来の芽を摘みとってしまうことにもなりかねません。H君は改めて、このことを私に教えてくれました。大感謝です。最後に、ドリーム国語教室用に購入したミヒャエル・エンデ作「モモ」より私がすばらしいと感じたところを抜粋いたします。
― 道路掃除夫のベッポの言葉 ―
「なあ、モモ、」とベッポはたとえばこんなふうにはじめます。「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」しばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづけます。「そこでせかせかと働きだす。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方は、いかんのだ。」ここでしばらく考えこみます。それからようやく、さきをつづけます。「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸
のことだけ、つぎのひと掃
きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」またひと休みして、考えこみ、それから、「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」そしてまたまた長い休みをとってから、「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれてない。」ベッポはひとりうなずいて、こうむすびます。「これがだいじなんだ。」
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